この記事では、僕がセラピストになった経緯をお話します。自分がセラピストになろうとは夢にもおもっていなかったというのが本音ですが、必然的な出逢いと流れによってそう仕向けられたという表現がピッタリだとおもいます。気づいたら好きなことがいつの間にか仕事になっていました。
小学生以来の腰痛がきっかけ
セラピストを目指すようになった最初のきっかけは、小学生依頼の慢性の腰痛が悪化して、とある先生を紹介してもらったことでした。僕が25歳くらいのときのことです。「血液循環療法」という治療法の先生で、手技と合わせてある健康器具を使っていました。
その健康器具が秀逸で、体をよくするために自分自身で使えるものなのですが、手技の前にかならず健康器具を20分ほどあててから、そのあと先生に手技をしてもらうという感じでした。その先生の方針は、健康器具と食の改善で治していくのが基本でした。
ここで面白いことが起こりました。その先生は奉仕精神の塊のような方で、治療を受けて多少なりとも良くなってきたら他のお客様を助けてあげるのが当たり前という風な雰囲気を醸し出していて、自然、僕も他のお客様に健康器具を当てて奉仕するようになりました。
先生のカバン持ち
お客様は気持ちよくなるのでとても喜んでくださいました。自分の治療に通っていたはずの僕が、気づいてみたら他の人の治療のサポートをしていたのですが、考えてみればすべてはその先生の計画の中にありました。でも、自分が出来ることで人が喜んでくれるのを肌身で感じることができたのでのめり込んでいきました。
僕はそのまま先生のカバン持ちになって何処へでもついていき、治療の手伝いや、先生が経営する自然食品店の手伝いまでするようになりました。僕がマクロビオティックに心酔したのはこのときです。千葉県内のデパートに売り場面積比で売上日本一の店舗を出していて、そこで売り子もしました。
そんな風にしてカバン持ちをしているうちに、いつの間にか体のメカニズムに対する知識と治療の考え方を吸収していきました。でも僕自身は、この時点では自分がセラピストになろうとは思わず、ただ居心地がいいからそこにいるだけでした。
誘い
そんなある日のことです。先生からセラピストにならないかと打診されて、そこではじめて、そのような道があることに気づきました。そのとき僕は、自分の手さえあれば困っている人をサポートすることができて、おまけに世界中を周ることができる、とそう思ってセラピストになると決めました。
それからは養成学校に通いながら、先生のもとで引き続き手伝いをさせてもらい、治療の現場で実際の治療法を身につけていきました。おもえば、腰痛がきっかけとなって治療に通っているうちに自分が治療家になってしまったという、この業界ではよくある話なのですが、3年半の修業期間を経てセラピストになりました。
独立開業
3年半の間に僕が体験してきたことがセラピストとしての僕のコアを形成していることは間違いありません。特に、最初に出会った先生のお客様に対する接し方や奉仕の精神はいまでも僕の中に息づいているようにおもいます。
院内での施術だけにとどまらず、家の中が片付かないことのストレスが原因で病気を抱えてしまっているお客様がいれば、そのお宅の片づけを手伝うのもサービス(治療)の一環だと考えて実行するのは、紛れもなくその先生の影響です。
最終的に僕はその先生から袂を分かち、その後はコチラの記事にあるように気功師としての修行を積んで独立しました。それが1998年のことです。
ナチュラル メディケア
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